辣油の読書記録

現代を生きる若造の主に読書記録。その他の事も書くかもしれない。

#41 『月と六ペンス』感想

サマセット・モーム『月と六ペンス』 新潮文庫

この本もある友人に薦められた。友人に薦められてばっかだな俺、少しは自分から読め、という感じがする。

率直な感想としては、とんでもなく面白かった。自分はこういう話好きですね。その友人が薦めてくれる本は途中から止まらないトロッコに乗った様な激しさを持って終わりまで突っ切るものが多い気がしている。

この作品の主人公はチャールズ・ストリックランドという男で、イギリスで証券取引所の社員をしていた。彼には妻がおり、息子と娘も居た。しかしある日突然失踪し、全てを捨てて彼はパリへ飛び立った。物語の本筋はここから始まるといっていい。残された家族にこの意味がわかる筈がない。彼に、充実した日々を捨てさせたものは"美"であった。彼は失踪した後画家として絵を描き出したが全く売れず、貧民街のボロいホテルで貧しい生活を送っていた。港湾労働者として港町をウロついていることもあった。しかし画家にはよくある話なのかもしれないが、彼は死後、天才として評されることとなる。

彼は"美"を志す無頼であった。決して人に気に入られようと取り入ることはせず、そればかりか好意的に接しようとする者にさえ暴言を浴びせた。

今回は手短になってしまうが、最後に幾つか心にグッと刺さった数節を引用したいと思う。

「最初の亭主のジョンソン船長は年中あたしを殴ってた。あれこそ男ってものよ。ハンサムで身長は百八十センチ以上あった。酔っ払うと歯止めがきかなくなってね。殴られると、身体中あざだらけ。死んだときは泣いたわ。忘れられるはずないと思った。」(p.317)

この異様な雰囲気は何なのだろうか。私はDVに賛成でもないし男尊女卑論者でもない。この女が男の暴力性を賛美するという、現代から見た異様さは確実にこの作品を「名作」に押し上げている。正直、朝の電車でこの本を読んでいた私はつり革を掴みながら驚きが止まらなかった。奇形の動物を見たときに湧き上がってくる感情と似ているかもしれない。私が現代の人間であるからだろうか。女に暴力を振るう男にのみマッスルニティが認められるなどとは微塵も思っていないが、この作品を読んでいる間だけはどうしても認めたくなってしまう。ストリックランドの狂気が移ってしまう。

「女ってのは変な生き物だよ」ストリックランドはクトラ医師にいった。「犬のようにあつかい、手が痛くなるまで殴っても、まだ愛してるという」(p.344)

「しまいには、男は女のものになってしまう。こいつらの手にかかればどうしようもない。白人だろうが現地人だろうがちっとも変わらんよ」(p.345)

一度は故郷イギリスで女のみならず家族も捨てたストリックランドだが、タヒチで出会った女について上のような発言をする。文学に対して実に無粋かもしれないが、『月と六ペンス』をジェンダーというテーマであれこれやるのも面白いかもしれない。浅はかかな。

ストリックランドはやがて身を落ち着けたタヒチハンセン病に罹る。ハンセン病にかかり、顔が次第に崩れていく。ストリックランドの危篤を伝える使いが医師の元を訪れ、医師は彼の家に向かったが、既に彼は事切れていた。ストリックランドはハンセン病で失明した後も、全てを投げ打って追い求めてきた美を壁に描いていた。壁一面がストリックランド最期の絵、美の終着点とも言える絵でうめつくされていた。

言葉に表せないほどの迫力がある神秘的な絵だった。医師は息を飲んだ。ある感情が全身に広がった。理解も分析もできない感情だった。(p.352)

世界の始まりを目撃した人が、きっと同じように感じたことだろう。驚異的で、官能的で、情熱的な絵。同時に、どこか残酷でもあった。(p.352)

ハンセン病患者特有の甘ったるい吐き気を催すような匂いの中、最期の絵を見た医師が抱いた感情である。

最後に、ストリックランドについて語った実に魅力的な文章を引用したいと思う。

その絵を描いたのは、秘められた自然の深みにわけ入り、美しくも恐ろしい秘密を探し当てた男だ。その絵を描いたのは、知ってはならない秘密を知った罪深い男だ。(p.352)

名文だと思う。