辣油の読書記録

現代を生きる若造の主に読書記録。その他の事も書くかもしれない。

映画『ファイト・クラブ』について思うこと

最後の更新から何冊か本は読んでいるがこのブログに記事を投稿することは減ってしまった。自分でも残念に思っている。

今回は自分の愛してやまない映画『ファイト・クラブ』について個人的に思っていることを雑に書いていきたい。この映画は冴えない不眠症のサラリーマン(主人公)がタイラー・ダーデンという男と出会うところから始まる。タイラーはこの何不自由なく暮らすことのできる物質主義社会においてこれを否定し清潔さを捨てて汚れにまみれて生き、また痛みによって生の歓びを得るという過激な思想を持っているが、私はこの点に大いに共感している。ラグビーが盛んであった私の高校ではラグビー部員以外にもラグビーをプレイする機会が与えられており、基本的なルールも皆把握していた。そういう中で私も何度かラグビーをプレイしたのだが、これこそ最高のものであった。全身汗と泥でギトギトになりながら友人達が全力で自分にタックルしてくる。自分も相手の持っているボールを狙ってタックルをする。そういう肉体と肉体のぶつかり合いの中で最初は痛かった筈だがいつの間にかアドレナリンで痛みを感じなくなる。試合が終わる頃には自分の服に誰のものかも分からぬ血が付いている。人に言われるまで自分の唇から血が出ていることにも気付かず、チームの仲間も鼻血を出しているのを気にも留めずただ袖で拭ってまたボールを追いかけ出す。今でも非常に鮮明に覚えている。作中、「ルーの酒場」というバーの地下室でファイトが行われるのだが、ここでレストランのボーイ長がオフィスの下働きにダウンさせられるシーンがある。負けたボーイ長は鼻を折られて血まみれになりながらも笑って"stop"と叫ぶ。この笑いながら叫ぶシーンは特に私の好きなシーンであるのだが(このシーンが好きというファンがどれくらいいるのか知りたいのだが哀しい哉、この映画のファンにも滅多に会わないのだ)、この時のボーイ長の感情が手に取るように分かってしまう。以前筋トレにどハマりしていた時期、全身の筋肉を追い込むと笑いが止まらなくなることがしばしばあった。全身の痛みと疲労感に達成感が加わっておかしくなるのだろうか、仕組みはよく分からないが面白くて堪らなくなり笑ってしまう。因みに、作中に「ワークアウトは自慰行為」という台詞が出てくる。どうやら映画的には私は自慰行為にせっせと勤しんでいたことになるらしい、まあいいか。こういう体験は絶対に今の自分の一部を構成している。私は基本的には暴力を肯定しないし、児童虐待など一部その最も醜い形での表出が見られることも承知している。しかし試合直後のあの、えも言われぬ感覚。アドレナリンで痛みは感じず、呼吸もままならない中で私は全力で生の歓びを享受したのだ。絶対に確信を持てることであり、今後一生私の記憶に残り続けることと思う。もし私が基督者ならあれこそ神の祝福なのだと確信していたとすら思える。しかし今は何年も続いている生ぬるい人生で完全に鈍りきった生活を送っている。

何年か前は三島由紀夫に傾倒していたものの最近は全くそんなことも無くなり、『ファイト・クラブ』についてもあくまでフィクションでのみ可能なのだということを理解している。三島由紀夫にハマっていた時期からこの映画は見ていたかもしれないが、そうこうしている内に『ファイト・クラブ』を観るのも20回を越えた。もしかしたらもう30回も越しているかもしれない。

そういえばタイラー・ダーデンを演じたブラッド・ピットの最新作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(原題"Once Upon a Time in...Hollywood")も非常に良かった。もう2回もナイトシネマで観に行ったのだが、やはりこういう映画を観た後ではうっかり車も飛ばしてしまう。