辣油の読書記録

現代を生きる若造の主に読書記録。その他の事も書くかもしれない。

三月大歌舞伎を振り返って

三月大歌舞伎を観ました。歌舞伎を見るのは初めてです。周りには沢山着物を着たマダムが居りました。客の年齢層は極めて高く、皆さん足腰が弱っているのか客席の階段では多くの人が手すりに掴まっていた。ざっと見た限りでは自分が最も若かった。

演目は「盛綱陣屋」「雷船頭」「弁天娘女男白浪」の三つ。「盛綱陣屋」は源頼家北条時政の勢力争いに巻き込まれ敵味方に別れた佐々木盛綱、高綱兄弟の悲劇を描いた作品。弟高綱の首が本物か否か兄が検分する場面では首が偽物であったにもかかわらず高綱の息子小四郎が首に向かって泣きながら自害し、父高綱を庇う。兄盛綱は小四郎の覚悟を無駄にしないためにも弟のお家再興を願って北条時政に「首は本物である」と報告する。最後は自害して瀕死だった小四郎が息を引き取り、周囲が泣き崩れて幕が下りる。実に良かった。これはあくまで個人的な感想なのだが、私は第二幕と第三幕「雷船頭」と「弁天娘女男白浪」が非常に好きです。江戸の粋な町人は見ていて本当に気分が良くなる。「雷船頭」は船頭が舟を停めて休んでいると雲行きが怪しくなり、雷雲から降りてきた雷神と舞う。あの鬼のような雷神でも粋な船頭の前ではいなされてしまう。雷神が酒を飲もうとしても船頭に取り上げられ、やっとお猪口を取って飲んだと思ったら船頭は徳利から直に飲んでいる。粋な船頭と船頭に敵わない雷神の対比が実に心地よかった。先日Eテレの『にっぽんの芸能』でも特集が組まれていた「江戸のダンディズム」というのはきっとああいうものなのだろう。そして最後、大本命第三幕「弁天娘女男白浪」。これに関してはもう言葉で語りつくすことができない。元々自分は七五調に魅せられているのだが、今回観た河竹黙阿弥の七五調は近松門左衛門の七五調とは根本的に異なっている。近松の文章は人形浄瑠璃、つまり「わさびと浄瑠璃は泣いて褒めろ」と言われるくらいですから泣かせに来る悲劇の文章。対して河竹の七五調は江戸後期から明治初期にかけて、團菊左と言われた歌舞伎の全盛期を築き、「白浪五人男」に代表されるような、任侠のそれとはまた違った豪放さや嫌なことを笑い飛ばすような軽快さがある。もうこれ以上何を書いても自分の気持ちは収まらないのでこの辺で。

私は昨日、浜松屋での弁天小僧菊之助と稲瀬川沿いの白浪五人男勢揃いを観て目ェカッ開いて歯ァ食い縛るしかなかった。感動してそれ以外何もできなかった。

いつになるかは分かりませんがまた歌舞伎行きたいと思います。