辣油の読書記録

現代を生きる若造の主に読書記録。その他の事も書くかもしれない。

#42 『砂の女』感想

安部公房砂の女新潮文庫

あけましておめでとうございます。滅多に更新しなくなってしまったこのブログですが、私はきちんとブログの存在を覚えてますよ。具体的には、週4回アクセス数を確認するくらい覚えてます。いきなりですが少し良い報告があります。このブログは始めてから確か4年目になるのですが、アクセス数がほぼ毎月100アクセスを超えるようになりました。全く更新していないのに何故増えているのかかなり疑問ですが、私の書いた拙い文章でも見て下さる方がいるというのは嬉しいことです。ありがとうございます。2018年は読んだ本がレポートの参考文献とかなり被っており、学校側から剽窃の疑いをかけられるのを避けるために記事更新が少なかった、というのは間違いなくあります(言い訳)。なので今年はそこそこの頻度で更新させて頂きたいと思ってます。バイトで稼いだ金を本に投資してたら本棚2個目に入ったとか、読書量に対して供給過多のため積ん読本がどうしようもなくなっているとか、読書量を増やしたい理由はそこら中にありますし。2019年も何卒よろしくお願いします。

2019年栄えある一冊目は安部公房失踪三部作(この言い方は友人から教えてもらった)の『砂の女』です。新年早々幸先悪いですね。この本をなぜ読んだかというと、読みたかったからです、以上。積ん読でした。最初は大晦日読了チャレンジとかいうのを思いついてしまい、やってみたのですが、意外と読み終わりそうだったのに例の如く2018年内に読み終わりませんでした。情けないね。読み終わったのは昨日です。

主人公が閉じ込められたのは砂の穴に沈みつつある家で、そこに住んでいる一人の女と、家が沈んでいくのを必死に防がなければならない。スコップで砂を掻き出すというのも何とも要領の悪い、いっそ埋まってしまえば良いと思ってしまうような単調作業であるが、これを毎晩続けなければならない。部落の人達も主人公を騙してその家に縛り付けることについて何の罪悪感も無い。極めて洗練された悪の形である。しかし悪がどちらかというのが一概には決められないことは以下の文章から読み取れる。

女をとおしてむき出しになった、部落の顔らしい。それまで部落は、一方的に、刑の執行者のはずだった。あるいは、意志をもたない食肉植物であり、貪欲なイソギンチャクであり、彼はたまたま、それにひっかかった、哀れな犠牲者にすぎなかったはずなのだ。しかし、部落の側から言わせれば、見捨てられているのはむしろ、自分たちの方だということになるだろう。(p.246)

部落は砂丘に埋もれていく一方であり、元の住民もそう簡単に移動できるわけではない。そのため部落は砂に抗いながら暮らしていくことを選んだ。そういう状況の中で国は金を出さない。自分たちの故郷が砂に埋もれていくことなど気にも留めない国。当然怒りが湧く。部落にとっては部外者全てが目の敵であり、迷い込んだ彼らを家に縛り付けて砂を掻き出させ続けるのは部落の保存と国への反抗の両方を同時にこなすことができる。当初、主人公が女の犯した罪について考えていたように、「刑の執行」というテーマで文章を読んでいくこともできるかもしれないが、問題はそこには無い気がする。解説でドナルド・キーン氏が述べていることには、構造を解釈しようとするのはナンセンスらしいのできっと構造とか日本語文の美しさが問題なのではないのだろう。私はこの作品においては「男が如何にして部落の一部となり果てるか」に着目したい。私が二度目に読むときにはこの点に注視しようと思っている。

最初騙され、閉じ込められた男は気違い沙汰になりながらも砂の穴から脱出しようとした。やがて女と共にスコップで砂を掻き出し、女と共に生活していく。一度は上手く行きかけた脱出も、「塩あんこ」に足を取られて捕まってしまった。当初カラスを捕まえて手紙を飛ばそうと思って名付けた罠「希望」も罠として機能しなかった。その代わりに砂から水を得る優れた装置として機能していた。穴の外に出て再び元の生活に戻ることへの「希望」は、砂に埋もれつつある部落に順応し、村人の一人として生きることで偶然見出された「希望」へと変容してしまった。この希望はモザイックの断片に飲み込まれていたために今まで気付かなかった希望である。砂から水を得ることができればより良い生活が待っているのだろうが、その生活は部落での生活である。

男はラジオという女の憧れを得るために手を貸してやり、内職を手伝い、やがて女が主人公の子供を身籠り、子宮外妊娠で血を流すと女を心配した。女がオート三輪で病院へ向かう時、久しぶりにかけられた縄梯子は外されなかった。他の村人が縄梯子をはずさなかったのは緊急事態であったというのは勿論あるだろうが、この時男は完全に部落の一部になっているからではなかろうか。男は縄梯子から穴の外へ出たが、往復切符で元の生活に帰ろうとはしなかった。元の生活に帰ったとしても待っているのは嫉妬にまみれた小学校教員としての日々、肌まで灰色になった同僚達、労働組合と上司との板挟み。今まで必死に帰りたいと思っていた自分が断片に飲み込まれていたことに気づき、モザイックの全体を見た時、男は部落の一部として生きていくことを決めたのだと思う。

作品の最後には失踪届出と失踪宣告の書類が載せられており、主人公は法的に失踪人となったが、これは勿論断片。モザイックの全体を見ればこの作品はハッピーエンドであると思う。