辣油の四方山記

現代を生きる若造の主に読書記録。その他の事も書くかもしれない。

#37 『三四郎』感想

夏目漱石三四郎新潮文庫

こんなブログやっておきながら今まで夏目漱石はほとんど読んできませんでした。読んだのは『こころ』だけです。もう内容忘れましたが。

僕はこの作品好きですね。何というか合うものがあるというか。もう何度かは読める。しかし正直感想を書けと言われても何を書けば良いのか分からない作品でもある。最初私は入学したての帝大生の日常が描かれたものだと思い読んでいた。何が言いたいかと言うと、小説=劇(drama)には劇的な(dramatic)非日常がなければならないと考えていたのだが、この非日常には作品に合った(作者が意図した)程度があるのだということが分かった。金閣寺は燃えなければならないし、博士は粘土板に押し潰されて死ななければならない。しかしここまで大胆なdramaである必要はないのかと。確かに帝大生の日常には恋愛失敗談くらいが丁度いいのかもしれない。日常がいつから狂い出したのか、私はよく分からなかったが、260ページ辺りではもう既に時遅しの感があるので今回はここに注目する。「運命」という語がひたすら使われており、ストーリーの調子・テンションが変わる。加速する感じ。以下引用。

三四郎はこう云う風の音を聞く度に、運命という字を思い出す。(P260)

考えると、上京以来自分の運命は大概与次郎の為に整らえられている。しかも多少の程度に於て、和気藹然たる翻弄を受ける様に整らえられている。(P260)

与次郎は愛すべき悪戯ものである。向後もこの愛すべき悪戯ものの為に、自分の運命を握られていそうに思う。(P260)

しばらくこの赤いものを見詰めていた。その時三四郎の頭には運命がありありと赤く映った。(P261)

そうして、赤い運命の中で狂い回る多くの人の身の上を忘れた。(P261)

三四郎は今までもそうであったが、里見美禰子という女性に好意を抱いている。野々村宗八と美禰子が結婚するつもりなのかどうかにも大いに関心がある。三四郎にとって死活問題であるから。これらのことが余りに明確に姿を現さないので三四郎は考えを巡らせている。考えを巡らす内に"運命"にたどり着いてまた考えている。P261の赤いものというのは少し遠くで起きた火事を赤く映した夜空を指している。恋愛下手な三四郎には上手くいかない人間関係がもどかしくて堪らなかったろう。

これで終わりにするのは尻が切れているというか、私の技量不足なので申し訳ない。この作品を理解するにはあと2回は読まねばならない。今回はここまで。