辣油の四方山記

現代を生きる若造の主に読書記録。その他の事も書くかもしれない。

三島由紀夫作品に見る"死"の断片

1945年1月14日、鮮烈な人生を、誰よりも早く駆け抜けた一人の知識人が、四谷に生まれた。三島由紀夫である。彼はほとんど昭和が始まると同時に生まれ、日本が、良くも悪くも様々なことを経験した時期と共に生きた。そしてこの知識人は1970年11月25日、切腹し自ら人生の幕を閉じた。享年45歳であった。

私はどうしてか、この三島由紀夫という男から目を離すことができない。最初に読んだ彼の作品『金閣寺』が余りにも響いたというのもあるだろう。しかしそれだけではないように感じる。それが何であるかは分からないのだが。今回は主に「経験」と「作品」の二つから彼の"死"への志向、眼差しを少し考えていきたい。

1.『豊饒の海』と"死"への眼差し

彼は割腹自殺の直前、つまり最後に『豊饒の海』四作品を書き上げた。『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の四つである。これらの作品は順に同時間軸上に置かれている。『春の雪』に登場する松枝清顕が仏教で言う転生を繰り返しそれ以降の作品にも現れるという作りだ(正確には『天人五衰』には現れていない)。そして重要なことは松枝清顕の親友である本多繁邦は全作品を通して登場しているということである。松枝清顕と本多繁邦は『春の雪』においては学習院高等科の学生だった。松枝は侯爵家の一人息子であり将来を約束されていたようなものだった。そして何よりも彼は青白く、あらゆることに冷淡な性格だった。つまり第一段階における"死"は三島にとって非常にセンシティブで美しく清らかなものだった。一種展示物のようでもある。松枝清顕は一作目作中で死んでしまうが、本多繁邦はその後東京大学法学部に進学、大阪控訴院判事となり、それ以降の全ての作品にも登場する。段々見えてきたと思うが、三島由紀夫東京大学法学部卒業であり、専攻は法律学。そして本多も同じく法学を修めている。つまり、本多は作中において三島由紀夫自身を投影した像としての一面があると言えよう。しかしまだこれだけでは早とちりが過ぎる。四作品の中で死と転生を繰り返す松枝清顕は何であるのか。私が考えるに、恐らく"死"そのものである。ここで一つの構図が浮かび上がる。四作品を通じて死と転生を繰り返す松枝清顕"死"を長い間側で見守り、それに関するあらゆる思考を続ける本多繁邦すなわち三島由紀夫自身、というものだ。しかしこれでもまだ足りていない。二作目『奔馬』において"死"はまた異なった様相を呈す。松枝は飯沼勲という右翼青年となって再び本多の前に姿を表したのだ。飯沼は危険すぎる程純粋であり、常に「何事か」を成し遂げようと考えていた。私は読んでいて、飯沼が向かっているものは政治的な目標こそ明らかになっているものの、それは遠近法の消失点の様に、先の見えない試みであるようにも感じた。飯沼は最期、潔白な目標を汚されたとの思いから標的の政治家を殺した後、自刃した。これが二作目における"死"の全てを表していると言えよう。三島は"死"を若々しく謳歌される純粋なものであると同時にそのものの果てしなさから迷いを抱いていたのではないか。この時には冷たく美しい展示物は抑え難い熱を持って暴れ出している。三作目『暁の寺』で表現された"死"はいよいよ三島自身へ接近する。インドの月光姫として生まれ変わった松枝は非常に魅力的な妙齢の女性として描かれる。若々しく、瑞々しい肉体美を誇って本多繁邦を魅了する。かつて松枝清顕、飯沼勲に共通していた脇腹に三つ並んだ黒子が存在するか否かを確かめるため、老いた本多は月光姫の部屋を覗き見る。確かに月光姫には黒子があった。もう分かっていると思うが、三島は"死"に魅了されているのかもしれない。これに関して強い確信は無いのだが、くだらないブログ記事として聞き流して下され。そして最後、『天人五衰』に現れる"死"を見ていく。見ていきたいのだが、これが非常に難しい。『天人五衰』において、老いた本多は偶然訪れた港で安永透という16歳の少年と出会う。彼の脇腹には三つの黒子があった。本多はこの少年を松枝の生まれ変わりと信じて養子に迎え入れた。しかし安永は次第に横暴になり本多に暴力を振るうようになる。暫くして安永は自分が松枝清顕の転生者と信じられていたからこそ本多が迎え入れたということを知る。転生者であるならば20歳で死ななければならないことも知った安永は服毒自殺を図るが死ねなかった。安永は転生した後の松枝ではなかったのだ。私はこの四作目『天人五衰』には疑問を抱いていた。これでは全く意味が通っておらず分からない。しかしこのことについては確か澁澤龍彦三島由紀夫おぼえがき』(中公文庫)の中に記述があり、三島が当初違った結末を書こうとしていた旨が書かれている。私の疑問は間違っていなかったのかもしれないが四作目入稿日に自衛隊市ヶ谷駐屯地で自殺されては読者の疑問は永遠に解けないではないか。本人がもし生きていたとしてもその点の説明は無いだろうと思うが、死んでしまうのは何よりも残念である。ともかく、長々と説明してきたが、『豊饒の海』で描かれた"死"は当初美しく冷たかったが熱を持って暴れだしたかと思うと女性のように柔らかく三島を魅了していく、というものだった。

2.『金閣寺』と"崩壊≒死"

鹿苑寺の学僧であった溝口は吃音に悩んでいた。彼の色褪せた世界の中で一際輝きを放っていたのが金閣寺であった。しかし現実の金閣寺には父から伝えられていたほどの美しさは無く、溝口は困惑した。自分が長年憧れ、心の拠り所としてきた金閣寺が美しくない筈がない、と。そして溝口はついに金閣寺に火を放ち、その美を永遠に自分の中に閉じ込めようとした。「金閣寺がこんなに美しくない筈はないから元の美しい金閣にしてやろう」という心が感じられる。この作品に描かれるのは世間に馴染めない溝口の鋭い狂気だ。狂気は言いすぎかもしれないが金閣への異常な執着、そして本来在るべき場所に戻そうとする試みだ。思い出さないだろうか。三島は"死"にこそ美の極致があり、その一瞬の美の昇華をこそ望んでいたということを。『金閣寺』作中において金閣寺に火を放った後の溝口については詳しく描かれていない。小説である以上金閣寺が燃えるシーンにクライマックスを持ってきた、というのは勿論あるだろう。しかしそれ以前に、三島は"崩壊の瞬間"="死の瞬間"="美の極致"にしか興味が無かったとは考えられないか。勿論金閣寺を燃やした溝口はそれより先の時間を過ごせるだろう。しかし死んだ人間はそれより先の時間は過ごせない。有終の美とでもいうのだろうか、寧ろ三島の美意識においてその先の時間は過ごしてはならないのだ。三島は金閣寺そのものなのだ。

3.『午後の曳航』と英雄の"死"

この作品の主人公は横浜で舶来品を扱う店の息子。やがて塚崎竜二という船乗りと自分の母親が良い関係になり出した。少年は塚崎の中に栄光や大義のために海を行くカリスマ性を見出す。そうして竜二を尊敬していた少年だが、やがて竜二は母の経営する店の手伝いや舶来品に関する知識をつけるようになった。少年はこのことに深く失望した。そして友人ら数人とともに竜二を山にある洞穴に呼び出し、睡眠薬入りの紅茶を飲ませる。竜二は少年らが理想としていた元英雄だった。しかしその英雄が「家庭に入る」「店の手伝いをする」などという裏切りは断じて許されない。そのため少年たちは英雄を殺すことで本来在るべき場所に戻そうとしたのだ。英雄は永遠に英雄でなければならないとも言うべきか。もう私が何を言おうとしているか分かるでしょう。塚崎竜二は、美しい姿を失った金閣寺であり、三島由紀夫自身でもあるのだ。

4.三島が体現した"美"

三島由紀夫が死に対してどのような考えを持っていたかは上で説明してきた。ここからは彼の作品ではなく実生活の話を少ししようと思う。彼は30歳のときボディビルを始め、割腹自殺する45歳まで続け通した。これも澁澤龍彦三島由紀夫おぼえがき』の中で書かれていたものと思うが、三島由紀夫切腹する為に腹筋を鍛え上げていたというのだ。贅肉を極限まで無くし、逞しく隆々と鍛えられた腹筋に自ら刀を突き刺すその瞬間、三島自身が美の極致、頂点、美の体現となり、時間を永遠に断ち切る命懸けの試み。彼の"死"にはそういう意味が込められていたのだ。そして彼が意識してか意識せずしてか、彼は自身の小説の中で少しずつ自らの死と美意識を晒していた。私は、自分の敬愛する作家がこのような考えに至ってしまったことを実に残念に思うと同時に、彼の実現しようとした美を全力で見たいと望む。彼の行動の唯一の失敗を挙げるとすれば、彼が切腹によって為そうとした美がその類い稀な才能によって一瞬ではなく永遠のものとなってしまった点だろう。私は、三島が既に存在していない世界の、一瞬の美の後に残された悲しい世界の一人の読者として、これからも三島が遺した美を考え続けたいと思う。

 

尤も、三島は美を"遺した"などとは微塵も思っていないだろうが。