辣油の四方山記

現代を生きる若造の主に読書記録。その他の事も書くかもしれない。

#33 『風姿花伝』感想

世阿弥風姿花伝岩波文庫

今回はいかにも古典という感じの作品ですね。こういう作品を数多く出版する岩波書店さん、本当にありがとうございます。これからも沢山買い続けるので沢山古典を出版して下さい、お願いしますよ。ということで岩波書店さんへの感謝挨拶は終わりです。

風姿花伝」というのは父である観阿弥が授けてきた教えに自らの解釈を加えて、子である世阿弥が記したものです。この作品の成立年代は室町時代でしょうから、高校の授業などで扱われる古典よりは年代が下るわけです。やはり平安の文章よりも全然読みやすかったですね。岩波書店が古典を文庫本で出版する時に現代語訳を付けるかどうかを決めると思うのですが、どういう基準を設けているのかは分かりません。しかし、もし読者層を見越した上でスラスラ読めるラインを見極めて最低限の解説しか書かないという判断を下しているのであれば凄まじい嗅覚と言わざるを得ない。脱帽に脱帽を重ねて頭皮ズル剥けた。

先にも述べましたがこの古典作品は能の演者が、能を演じるにあたってどういうことを心がけるべきかということが主に書かれています。ずっとそうです。章立てとしては

  1. 年来稽古条々
  2. 物学条々
  3. 問答条々
  4. 神義に云く
  5. 奥義に云く
  6. 花修に云く
  7. 別紙口伝

の7つ。1章では年齢ごとにすべき稽古の種類や芸の腕の上がり方などについて、2章では物学(物真似)の巧拙やコツについて、という風に続いていきます。能には(歌舞伎にもあったような気がしますが)三番叟と言って神前で行う舞もあるので、結構神事や神道に近しい存在なのでしょう。知りませんでした。私が知っている歌舞伎の三番叟に「操り三番叟」というのがあります。詳しいことは不勉強なので分かりませんが、幼い演者が操り人形を演じており、人形師的役割を持った人の動きと巧みに合わせながら人形を演じるというもの。見れば分かると思いますが、この演目中々奇妙で、操り人形役は背後に居る人形師の動きを全く見ていないのに動きが完璧に合っている。恐らく笛や謡の音だけで動いてるのだと思いますが、人形役の無表情さと相まってなかなか面白い。オススメ。ところで、作中に「申楽」という言葉がよく出てくる。自分はこれを猿楽と思っていたのですが、本当は神楽の神の字から偏が取れた形を用いているという。まあ諸説あるんでしょうが、こういうことからも読み取れるように神事との関係が深いんでしょう。これは完全に雑談ですが、以前、初めて狂言を見に行きました。能ではありません。学校の鑑賞会などで見たことはありますがあんなものはノーカン。自らチケットを取って行ったのは初めてでした。演者は誰もが知っている人間国宝野村万作氏とその息子野村萬斎氏。父子というと観阿弥世阿弥と重なる部分がありますね。私はそこで小舞も見たんですが、これが非常に良かった。演者の後ろの方で声を出してる人がいると思うんですが、この声を謡と言います。あと小鼓とかもいる。この謡と小鼓、舞が見事に調和して完全に呑まれました。これから小舞の方も勉強していきたいと思いますね。話を戻しますが、風姿花伝の中で「花」という言葉が多用されています。これは演者の誇る演技力や雰囲気の優雅さ、美しさなどを指す言葉です。この花は植物の花と同じく、咲き誇るのは一時期だけであり、そう長くは持たないというのが観阿弥世阿弥の考え。思えば能舞台で演者が醸し出したあの雰囲気が「花」だったのか。そう言ってしまうとあの若い演者の魅力が右肩下りと聞こえてしまいますが、そういうことではなく。

能以外にも通用する大事なことを幾つも言ってるんですよこの本。いくらその道に通じていても、自分より下手な人間から学ぶものも必ずある、とか。在り来たりで教訓めいてますけどどの世界でも謙虚に生きる人間は大失敗を犯すこともないということなのか。そりゃそうだろうとも思うがこれをできる人は少ないんだろうなあ。