松風の四方山記

現代を生きる若造の主に読書記録。その他の事も書くかもしれない。

#24 『波止場日記 労働と思索』感想

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エリック・ホッファー『波止場日記』 みすず書房

お久しぶりです。気分が少し一段落したのでまた本を読むことができました。ここで一段落してしまうのは良くないことなんですが今はそれは関係ない。今回はあまり有名ではありませんが、エリック・ホッファーという哲学者の日記です。全く知られていませんが、ホッファーは非常に変わった経歴の持ち主。ドイツ移民としてアメリカに住んでいましたが、学者としてよく想像されるような裕福な家庭ではありませんでした。18歳で両親が死に、ロサンゼルスの貧民窟で暮らし、果てには服毒自殺を図り失敗した。なかなか想像出来ない人生ですよね。みすず書房は何に気を使ってか「社会の基底」という非常に柔らかな言葉を使っていますがね。鉱夫や農業労働者、港湾労働者を転々とする中で図書館に通い大学レベルの数学や物理学をマスターし、モンテーニュの「エセー」も三度読み最後にはそのほとんどを暗記してしまう程だったという。なんとイカした才能と人生。大学の研究機関に呼ばれたこともあったが結局サンフランシスコで港湾の肉体労働者として生きることを選んだ。この仕事は勿論日本でも存在したが、コンテナ船の誕生により衰退した。この仕事は沖仲仕(おきなかせ)と呼ばれ、肉体労働であり短期間高収入のものであったため、仕事柄荒くれ者が集まりやすいのが特徴としてある。また、多数で仕事を行うため集団化しやすく、現在の暴力団の主要な前身を形作ったと言われている。大隈重信に爆弾を投げ、足を一つ失わせた来島常喜が所属していた玄洋社も元々はこのような組織であったのではないですかね。あくまで憶測ですが。

この本、読んでいると分かりますが各所にホッファーの様々な知識が散りばめられており、注も付いている。唯の日記として読んでしまうのは非常に勿体ない。近代では既に中世近世の諸学問が古典として捉えられ、ある程度研究も進んでいると思うので、近代以降の人間が書いた文章には、やはりそれ以前の歴史的出来事や研究に関する記述が散らばっていて非常に良い。もっとも、この本が日記であり、エッセー的な要素を多分に含んでいるからであろうが。歴史に関して、彼はその読書量からかよくマクロな視点で見ることができている。時代を支配する階層は18世紀には貴族、19世紀には中産階級であったが20世紀には知識人であり、19世紀から20世紀への変化は財産から権力への変化と等しくシフトしていることなどが書かれている。しかし余りにざっくばらんに書かれているのでその部分をピンポイントで深めることはできないのが難点。日記だから仕方ないかな。あとはある人間が元居たコミュニティを離れた(すなわち既存体制が崩壊した)時に個人が誕生する、という記述もなかなか面白かったです。この日記の面白いことは何よりも、ホッファー自身の読んできた本、沖仲仕をやる中での経験、議論などが非常に多く記述されているだけでなく、やはり学者の書いたものと言っても日記なので、彼自身の、視線を低くした"普通の""ごくありふれた"感情が多く書かれているということにもあるのだろう。例えば、知り合いの沖仲仕との口論、今回パートナーになった沖仲仕は話が面白いとかそういうもの。また彼が大衆運動などを研究していたことなども挙げられるが、それは彼が沖仲仕という社会集団に寄り添った集団の一つに属していたことにもよるのだろう。遅くしてできた子供のリトル・エリックやその母(おそらく元妻)にあたるリリーへの思いも綴られており、哲学者の生活的、人間的な一面を垣間見ることができる。この、哲学者の学問的でないある側面を晒しているということにおいては、森鴎外の「ヰタ・セクスアリス」が近い作品であろう。これは主人公の哲学者金井の性体験を綴ったものであったが。ホッファーは自分の息子についても色々と考えを巡らしている。話しぶりから恐らく彼は離婚しており、息子を引き取った元妻のリリーも再婚している風である。彼は自分の息子の思考力や記憶力を褒めはする。しかし彼は別居している息子から多少馬鹿にされている。ホッファーと二人だけでいる時には大人しい良い子を演じるのに、母の再婚後の家族も一緒にいる時はホッファーに対して攻撃的になる。ホッファーに敵対すると思われる仲間が居るからだ。

私は人の生き方についてとやかく言うつもりも無いし、言える立場ではない。沖仲仕という肉体労働をしながら哲学を身につけた彼は非常に稀有な才能を持っていると思う。しかし遅くにできた愛する子供からも小馬鹿にされる彼は一体どんな気持ちで日々を過ごしているのだろうか。浮世離れした人生は彼から様々な物を奪ってきただろうし、様々な物を与えてきたのだろう。与えられたものの方がはるかに大きいだろうが。