松風の四方山記

現代を生きる若造の主に読書記録。その他の事も書くかもしれない。

恩師の話

高校で私は特に古典漢文と地理という科目を面白く感じ、特に積極的に学んだ。古文漢文は中学の時は特に好きであったが、反対に地理は特に苦手であった。それなのに何故好きになったかというのは高校で地理の深さ、面白味をよく教えて下さった良き師に出会えたからである。それも含めて今から、私が特に影響を受けた4人の先生の話をさせて頂きたい。また、勝手ながら私的なブログというものに書かせて頂くことに関しましては誠にお詫び申し上げます。
1人目は国語科のIという先生である。この先生には直接授業を受け持つなどして頂くことは滅多に無かったが(実際受け持って頂いたのは2ヶ月であった)、自分が所属していた漢文関連の同好会の顧問であった。漢文には素読というのがある。ただ漢文を書き下したものを読むだけである。しかし読む者によってその魅力は様々であり押韻への意識、漢文独特の抑揚、堅い言い回しなどその奥深さは言葉では語り尽くせない。このI先生の素読の場合、これらすべての魅力が最大に引き出されているのではないかというまでに私にとって凄まじいものであり、私も耳で聞き素読する度に漢文を好きになった。また漢文に関する知識も非常に豊富で、そういうネタを使ったギャグもよくあり、集会などでしか聞くことのない話を非常に楽しみにしていた。実際集会中などで寝ていたのにI先生の声が聞こえるとすぐに起きるというのも何度もあった。先生とよく話すことができたのは卒業式の日であったが、その時にも様々な本を薦めて下さった。それらの本はこれから読み進めて行きたいと思っている。この先私が様々な本を読み、様々な文章に触れる中での教養の深さの目標となるのはやはりこの先生であるとまで思うような存在であった。
2人目は国語科のTという先生である。私は中学の時から暇な時などに徒然草を読み進めており、好きな古典のうちの一つであった。この先生に直接授業をもって頂いたことはないが、徒然草という随筆を接点として出会うこととなった。この先生は徒然草に関して非常に思慮を深めており、様々な段において自分が今まで考えたこともなかった視点を持っていた。ある時授業で何か自由に論文を書くというのがあったのだが、私は徒然草にした。その時にお世話になったのがこの先生である。私は学会における論文が如何に精査された几帳面な文章であるか、また普段安易に触れたと思い込んでいる学問が如何に精密なものであるか、この先生からよく学ばせて頂いた。また論文制作期間にはこの先生から、ある大学の教授にメールを送ることを提案されるなどし、私は大変気後れしたが、それを行動に移すことで自分の興味に対する行動力も学ぶことができた。この先生が過去に出会った学生(私からは高校の遠い先輩にあたる)の話なども多く聞き、少なからず自分の進路についても考えることができた。この先生からは学問それ自体というよりも+αの部分で非常に大きくお世話になった。
3人目は地理科のO先生である。この先生は間違いなく私に地理という科目の学ぶ意義、またそれを生かす手立てなどを教えて下さった。この先生からは主に農業や工業、及びそれに伴う経済の流れなどを意識するようになり、切り口の一つを学んだ。地理は地理だと言われてしまいそうだが、O先生の場合は学問的な部分が大きかっただろうと思う。こう言うのも4人目の先生と少し区別するためである。
4人目の先生は地理科のH先生である。この先生には地理という学問の、またO先生とは違った観点を私に学ばせて頂いた。偶然教科書がそうさせたのかもしれないが、この先生は様々な経済、ヒト、モノの流れをその裏にある人々の利害関係や思想、民族間関係から紐解くというのをよくしていた。先程のO先生からは特に学問的な"表の地理"、しかしH先生からは特に現実的な"裏の地理"を学んだ気がする。この先生の教えて下さる"裏の地理"には一種中毒になるような楽しさやブラックユーモアがあった。この先生の事を貶しているのでは決してない。私が特に欲していたのが学問の中に見出される裏の世界であったのだ。実にスパイスが効いていた。病みつき。癖になる様なもの。この先生の展開する授業には軽快だがその中で核心を突くようなところがあり、当に"痛快"そのもの。多くの場合、裏に渦巻いているものは人の欲であり、その授業の中で先生の口から明らかにされた事柄を聞く度、私の中には人の思惑をまた一つダメにしてやったぞ、という風な可笑しな優越感すら生まれた。その人の思惑は全くダメにはなっていないのに。他の友人がどうだったか知らないが私などは毎回非常に楽しみにしていたものだ。この授業をより深く楽しむ為に学び直した単元すらあるくらいだ。またこの先生は礼儀に少し厳格な面があり、生徒によっては苦手という者も少なくなかった。全く貧弱な学生の多いことよ。しかし私は現代っ子にしては考えが多少古い(私は古いとは思っていないが)部分がある為、他の先生など目上の人に対して礼を尽くすということを特に意識するようになった。この先生との接点が週2回の地理の授業のみであったことが本当に悔やまれるのだ。
さらに悔やまれることには、卒業時に4人中2人にしか挨拶できなかったのだ。これ程までに悔やまれることがあるのだろうか。次挨拶する時には人間的に更に成長した姿を見せられるようにしたいものである。