辣油の四方山記

現代を生きる若造の主に読書記録。その他の事も書くかもしれない。

#6 『偸盗』感想

芥川龍之介羅生門・鼻・芋粥・偸盗』 岩波文庫

今回は芥川龍之介の「偸盗」ですね。この本はどこかで読まされた気がするんですがあの時の自分の集中力では偸盗程度の作品すら読めなかったんですかね。にしても司馬遼太郎の作品は幾つか読んでいたので多少不思議です。情けないもんですが。取り敢えず途中まで読んで本棚で何年か放置されていたのでこの機会に私が拾いなおした訳です。取り敢えず小説はこれで読むのを一旦辞めようかと思っているのですが先日父親からの小説文庫本大量供給を受けてしまいました。自分の金で買わなくていいので誠にありがたい話ですがノルマが増えてしまいましたね。雑談はこの辺にしておきます。

今回の作品を読み進めていく中盤までの中で一つの考えが自分の中にありました。「これ、何をどう書きたいのか全く分からねえ」ということです。いや本当に分からないしなんだこれ、って感じでしたが最後の部分で一気に畳み掛けてくるように全体が見えてきました。生きることと死ぬことをよく対比させる様に描いている、ということがそれです。猪熊の爺の死に対する阿濃の赤子の生。戦いが終わった後の重い雰囲気が連想させる死のイメージに対して、赤子によって和んだ生のイメージ。これに加えて爺が見た夜の闇と灯火の火もこの対比に当てはまる様に感じました。数多く書かれていた対比の中でも最も鮮烈で皮肉な対比だったのはやはり阿濃が検非違使に語った沙金の死に際でしょうか。「主人がよく人を殺すのを見ましたから、その死骸も私には、怖くも何ともなかったのでございます。」白痴の者が語っているというのも含めてなんという皮肉。まさか自分のしてきたことが自分の死も交えた形で語られようとは沙金は夢にも思っていなかったでしょう。
当初太郎と次郎が沙金を巡って互いに殺意を覚えていました。そして沙金も次郎と同じく太郎に対して殺意を覚えていました。しかし兄が弟の死にそうなのを見て全てが翻り、今まで兄弟が沙金に感じていた性の魅力を覆したというのは一種美談的な要素を含んでいるのでしょうか。また猪熊の婆が爺に見せた命懸けの愛も確実に意味を持っているはずなのですが考えても分かりそうにないですね。婆の愛もただ虚しいものに終わってしまった、というだけではないことを信じたいです。それだけなはずは勿論ありませんが。