辣油の読書記録

現代を生きる若造の主に読書記録。その他の事も書くかもしれない。

#34 『茶の本』感想

岡倉天心茶の本講談社学術文庫

今回のこの本、知ってる方もおられると思いますが、この本は元々英語で書かれたものであり、原題を『The book of tea』、岡倉天心(覚三)が東洋の茶道文化や美意識を欧米に伝えんとして書いたものです。私は勿論日本語で読みましたが。しかしまぁ、本を読んでいると稀に「この本超面白え、止まらねえよ……」みたいな本に出会います。この『茶の本』も確実にその内の一冊でした。この手の本にしては比較的短いのだが、この中に岡倉天心の持つ実に面白い知識の数々が詰め込まれている。しかも茶道に関して一般的な知識しか持っていなくとも知識と知識が次々に繋がって非常に刺激的。ビリビリ来て楽しい。

まず、下の文章はまだ1章に書かれているものだが、余りにもセンスがあるのでニヤけることしかできない。

In our common parlance we speak of the man "with no tea" in him, when he is insusceptable to the seriocomic interests of the personal drama.

人がその人生の劇に起る厳粛にして滑稽な関心事に無感動であるならば、われわれはそういう男を、俗に「茶気がない」と言う。

この文章で辞書でも解決できないのは"with no tea"の部分ですが、日本語では「茶気がない」としている。「茶目っ気」に似たような語感がありますが、本当に面白くないですか。英語と日本語との交通の中で見えてくる日本語の面白みを見事に捉えた英語。これが日本の文化を知り尽くした日本人が書く英語なのかと、脱帽。歴史の教科書に一言しか出てこない人物の凄味を早速垣間見る訳です。また、1章のタイトルは

The cup of humanity

人情の碗

となっている。なるほど、cupという単語だけ見ると西洋の、ソーサーとセットになったティーカップしか思いつかないが、東洋の茶碗も確かにcupである。しかも茶を飲む器という点で通じている。ははあ。岡倉天心は作中3章で近松門左衛門のことを「わが日本のシェイクスピア」と称した。その上で1章のこの文章。

The outsider may indeed wonder at this seeming much ado about nothing.

なるほど局外者には、この空騒ぎめいたものが不思議に思われるかもしれない。

とある。シェイクスピアの戯曲「空騒ぎ」の原題は"Much Ado About Nothing"。1章と3章という離れた文の中に散りばめたシェイクスピアに関する言葉。エロすぎる……。即卒倒。

他にも禅≒茶道文化の特徴として「虚」の重要性と抽象への愛好を論じた上で、古代仏教に見られる鮮やかな彩色仏教画と禅に見られる質素な水墨画の違いを述べるなどしている。確かにそうであるなあと頷いてしまう。実際電車の中で何度も頷いてました。

自分はこの『茶の本』日本語訳は今回の講談社学術文庫桶谷秀昭訳しか読んでいませんが、大変な名訳であると感じました。ド素人にもこう思わせる桶谷先生の日本語能力、翻訳技術に感服です。こうも素晴らしい本に出会えて良かったと思える一冊でした。

#33 『風姿花伝』感想

世阿弥風姿花伝岩波文庫

今回はいかにも古典という感じの作品ですね。こういう作品を数多く出版する岩波書店さん、本当にありがとうございます。これからも沢山買い続けるので沢山古典を出版して下さい、お願いしますよ。ということで岩波書店さんへの感謝挨拶は終わりです。

風姿花伝」というのは父である観阿弥が授けてきた教えに自らの解釈を加えて、子である世阿弥が記したものです。この作品の成立年代は室町時代でしょうから、高校の授業などで扱われる古典よりは年代が下るわけです。やはり平安の文章よりも全然読みやすかったですね。岩波書店が古典を文庫本で出版する時に現代語訳を付けるかどうかを決めると思うのですが、どういう基準を設けているのかは分かりません。しかし、もし読者層を見越した上でスラスラ読めるラインを見極めて最低限の解説しか書かないという判断を下しているのであれば凄まじい嗅覚と言わざるを得ない。脱帽に脱帽を重ねて頭皮ズル剥けた。

先にも述べましたがこの古典作品は能の演者が、能を演じるにあたってどういうことを心がけるべきかということが主に書かれています。ずっとそうです。章立てとしては

  1. 年来稽古条々
  2. 物学条々
  3. 問答条々
  4. 神義に云く
  5. 奥義に云く
  6. 花修に云く
  7. 別紙口伝

の7つ。1章では年齢ごとにすべき稽古の種類や芸の腕の上がり方などについて、2章では物学(物真似)の巧拙やコツについて、という風に続いていきます。能には(歌舞伎にもあったような気がしますが)三番叟と言って神前で行う舞もあるので、結構神事や神道に近しい存在なのでしょう。知りませんでした。私が知っている歌舞伎の三番叟に「操り三番叟」というのがあります。詳しいことは不勉強なので分かりませんが、幼い演者が操り人形を演じており、人形師的役割を持った人の動きと巧みに合わせながら人形を演じるというもの。見れば分かると思いますが、この演目中々奇妙で、操り人形役は背後に居る人形師の動きを全く見ていないのに動きが完璧に合っている。恐らく笛や謡の音だけで動いてるのだと思いますが、人形役の無表情さと相まってなかなか面白い。オススメ。ところで、作中に「申楽」という言葉がよく出てくる。自分はこれを猿楽と思っていたのですが、本当は神楽の神の字から偏が取れた形を用いているという。まあ諸説あるんでしょうが、こういうことからも読み取れるように神事との関係が深いんでしょう。これは完全に雑談ですが、以前、初めて狂言を見に行きました。能ではありません。学校の鑑賞会などで見たことはありますがあんなものはノーカン。自らチケットを取って行ったのは初めてでした。演者は誰もが知っている人間国宝野村万作氏とその息子野村萬斎氏。父子というと観阿弥世阿弥と重なる部分がありますね。私はそこで小舞も見たんですが、これが非常に良かった。演者の後ろの方で声を出してる人がいると思うんですが、この声を謡と言います。あと小鼓とかもいる。この謡と小鼓、舞が見事に調和して完全に呑まれました。これから小舞の方も勉強していきたいと思いますね。話を戻しますが、風姿花伝の中で「花」という言葉が多用されています。これは演者の誇る演技力や雰囲気の優雅さ、美しさなどを指す言葉です。この花は植物の花と同じく、咲き誇るのは一時期だけであり、そう長くは持たないというのが観阿弥世阿弥の考え。思えば能舞台で演者が醸し出したあの雰囲気が「花」だったのか。そう言ってしまうとあの若い演者の魅力が右肩下りと聞こえてしまいますが、そういうことではなく。

能以外にも通用する大事なことを幾つも言ってるんですよこの本。いくらその道に通じていても、自分より下手な人間から学ぶものも必ずある、とか。在り来たりで教訓めいてますけどどの世界でも謙虚に生きる人間は大失敗を犯すこともないということなのか。そりゃそうだろうとも思うがこれをできる人は少ないんだろうなあ。

#32 『ゾウの時間 ネズミの時間』感想

本川達雄『ゾウの時間 ネズミの時間』 中公新書

こんにちは、「やし酒のみ」の感想をもう少し真面目に書けばよかったと後悔している辣油です。あれは流石に短すぎますよね。でも大目に見て下さい。仕方ないですよ、今まで幻想文学読んだことないんですから。免疫が全く無い状態でああまで物語の展開が読めないと脳みそがびっくりするんです。小説は普通情景を思い浮かべながら読み進めると思うんですけど、”体がバラバラになって頭蓋骨だけになった紳士”なんて考えたことありますか?完全に「は?」でした。しかしエイモス・チュツオーラ氏の作品はまだ長編が残っているので心して読まねば途中断念という辛い結果を招くことになる。嫌だなあ。読書を途中で断念するときって本当悔しくないですか。自分は真面目に本を読み出してから一度だけ断念したことがありました。アドルフ・ヒトラーの「我が闘争」です。確か角川書店だったと思いますが、翻訳文っぽさが強すぎる。英語に慣れてない生徒の英文和訳答案みたいなガチガチのやつです。(もうちょっと何とかしてくれよ…)。角川のおエロいさんがこのブログを読んでくれることを祈るばかりです。ところで生意気にもブログのデザインを変えてみました。なんか良いデザインが無いか探してたら良さそうなものがあったので早速採用。見にくいと思ったら適当にまた変えます。

今までの記事からしてバリバリ文系の自分がこんな本を読むなんて驚きました?驚いたでしょう、高校時代の課題図書で買わされたまま積読になってました。ここで発掘されてよかったね。生物分野は、殆ど興味無い自然科学の中ではまだ好きな方かもしれません。一番好きなのは何てったって天文分野ですよ。天文分野で一番好きな言葉はこれですかね。

「好きな言葉は、ダークマターです。」

湘南美容外科クリニックかよ。完全に厨二です。しかもダークマター全然興味ないですし。本当に好きな言葉は連星パルサーです。そういえば過去に「宇宙論入門」という本を読みましたが、てんで分かりませんでした。最近読んだ構造主義の本ぐらい何言ってるのか分からなかった。哲学に近い分野って本当頭使いますね。有名な哲学者の提唱したこととかを見ると思いますが、あの方々完全に雲の上ですよね。人間界と離れすぎだろ。

本題です。この本は題名の通り生物のサイズに主眼が置かれています。知り合い曰く少しは新聞とかでも紹介されてたらしい。最初に書かれてたことを紹介すると最初だけしか読んでないんじゃないかって思いますけど、安心してください。そんな夏休み後半に無理やり親から本読まされてる小学生みたいなことしてませんよ。生物学には「島の規則」と呼ばれる規則性があるらしい。海によって大陸と隔てられた島々では大陸での大きな生物種がサイズダウンし、大陸での小さな生物種がサイズアップするというもの。面白そうでなかなかそそりますネ。自分の貧弱なオツムにはこれくらいしか残ってませんが結構面白い本でした。生物読み物に最適だと思います(なんだこの感想)。

#31 『はじめての構造主義』感想

橋爪大三郎『はじめての構造主義』 講談社現代新書

最近画像をアップするのが億劫に感じてきたので著者・出版社を明記することにしました。題名が被ってる書物なんて世の中幾らでもありそうですからどの本を読んだかはきちんとアクセスできた方が良いと思いました。これからはそうします。

この本は確か高校1年か2年の時に課題図書として買わされたものですが、一通り読んで思いました。「難しすぎるだろ」。高校生時代の自分なんてまだまだペーペーですし、何故私の母校は生徒に構造主義を学ばせようと思ったんだろうか。学ぶまで行かなくとも、触れるだけでも違うといった感じなんでしょうか。当時の私には触ることすら難しいんではなかろうか。でも中学の頃から文化人類学とか民俗学みたいなものには興味があったので時差はあれど、今読めているなら幸せです。

皆さんがどうか分からないんですが、きちんと勉強したい本が縦書き(新書とか文庫とか)だと結構キツイと感じるのは僕だけでしょうか。この本にも途中図とか数式とか出てきますが本当縦書きだと見づらい。文句じゃないですからね、文句じゃない。何でもいいですが、私がこの本を読み直してるのには訳があります。Levi Straussの「悲しき熱帯」を読むための前哨戦なのです。これもいつ買ったのかよく覚えてませんが確実に一年以上積まれたままになっている。そんな感じです。

この本は小説でもなんでもないので正直感想も何もないんですが、部族社会における婚姻のタブーの部分は結構面白かったです。ここでは詳しいことは説明しませんが、カリエラ型の婚姻とかは本当よく出来ているなあと思いました。あとはやっぱり数学の強い人間に生まれたかったなあと痛感しましたね。ひとえに努力を怠っているだけかもしれませんが、ここには努力を怠っているという事実しかないので。グダグダですがこの程度しか書くことが無い。それではさようなら~。

#30 『英語達人列伝』感想

斎藤兆史『英語達人列伝』 中公新書

どうもどうも。思ったんですけど、本が好きな人って何日に1冊のペースで読めるんですかね?まあこんな疑問は日に3度くらい考えますけど、高校時代、友人の担任が週に3,4冊のペースで読むべきだと言っていたらしいのですが、普通にのほほんと暮らしている社会人では絶対不可能ですよね。自分だったら常に読書欲に渇望していなければ無理です。今日3月5日、色々ネットサーフィンしながら読みたい本をメモしていったら27冊になりました。いい加減にしてくれ、1日にせいぜい新書か短編小説1冊程度しか読めない自分がたった1日で24冊の本をメモしている。いつになったら終わるんだ。しかし毎月毎月、岩波書店講談社も筑摩もみすず書房中央公論新社もよくここまで面白そうな本を出版してくれてますよね。特に中公新書。今回の「英語達人列伝」も中公新書ですが、誰か偉い人が言ってましたよ。「中公新書は数十年後、確実に名著となる本を出して攻めまくっている」と。そうなんですかね?自分はエロくないので詳しいことは分かりませんが、確かに書店の中公新書棚を見ると垂涎。気づいたら床に涎と我慢汁がダラダラ。中公新書の表紙は深緑色なので白濁液を掛けちゃったらバレちゃうね❤行きつけの所の書店員さん、ごめんなさいね★

ということで今回も以前から目を付けていた本です。最近自分の英語力を上げたいと思っているんですが思ってるだけで行動には移してない。著者は斎藤兆史氏という日本の英米文学者で、現在は東大教養学部の教授をやっておられるんですね。立派な方だ…。この本は本当に面白くて、誰でも一度は聞いたことのある人物を卓越した英語力、英語遍歴の切り口から探っていくというもの。日本美術の復興に尽力した岡倉天心終戦時日本においてアメリカ人から「従順ならざる唯一の日本人」と言われた白洲次郎などの逸話、経歴が書かれている。その中に紹介されている10人の達人の内、西脇順三郎の項でイスラム学者井筒俊彦氏に関する記述を見つけました。井筒俊彦氏といえばピンと来る人がいると思います。岩波文庫から出ているコーランは全てこの人の執筆です。岩波以外にもイスラム関係の本で名前を見たことがあります。自分はまだ井筒氏の著作を読んでいませんが、この方も大変な英語話者であったそうですね。拙いながらも単語同士がつながったのは嬉しいことです。

この本を読んで、自分は真に反省しなければならない、と思いました。今までの自分の英語勉強が如何に浅はかで愚かなものであったのかを思い知った。自分にはこの本に書かれているような達人になる資質はありません。にしても自分は腑抜けが過ぎる。ウトウトしてる時にビンタされた感じ。歴史の教科書に載るような人がどのように血の滲むような努力(尤も、本人達は努力と認識していないだろうが)をしてきたのか良く分かった。しかもここに書かれているのは英語に関してのみ。本当に尊敬します。

個人的には幣原喜重郎の話が一番グッときました。この項の冒頭に書かれていた著者斎藤先生の一節を引用したい。 

仮に自分の属している共同体の運命が自分の英語力に懸かっていると考えてみていただきたい。その重圧に耐えられるだけの英語力を持っている人間がどのくらいいるだろうか。 

日本史を習ったことのある人なら誰でも知っている幣原喜重郎、戦前戦後日本の外交、命運をその背に負っていたと言っても過言ではない。「協調外交」を掲げた彼は、戦前、幣原自身が必死に守ろうとした国内からも「軟弱外交」と非難された。結局彼のその働きの甲斐虚しく、日本は戦争の道を進んでしまったが、その後始末までもが彼の外交手腕、ひいては英語力に懸かっていたことを考えると教科書に載っている彼の名前も輝いて見える。これは若気の至りであるが、自分は高校時代軍歌を流しながら戦前日本史の勉強をしていた。その時何度幣原に舌打ちしたことか、よく覚えている。しかしこの本を読んで、歴史の中の幣原喜重郎と個人としての幣原喜重郎とでは全く異なって感じることができる。

幣原の項が特に気に入ったので沢山書きましたが全て良かったです。中公新書、侮れない。

#29 『魂をゆさぶる歌に出会う』感想

ウェルズ恵子『魂をゆさぶる歌に出会う』 岩波ジュニア新書

以前話したかどうかは覚えていませんが、自分はラップやヒップホップの様なアングラに近い文化を学問的に捉える学者を探していました。本屋はうろついてみるもんですね。居ましたよ居ました、あなたを探しましたよ全く。ウェルズ恵子氏という立命館大学文学部教授で、自分の探していたようにアングラ文化が専門な訳ではないですが、英米文学が専門で、その研究の中で黒人文化というヒップホップに近い文化に行きついたようです。特に口承文化に精通しているのかな。本当に面白い作品は寝る間を惜しんで読んでしまうものですが、この本もそういった一冊でした。岩波ジュニア新書ということもあって文章が軽かったのもあると思います。ちなみに過去に一日で読んでしまった作品は三島由紀夫潮騒」でした。(「金閣寺」は一週間掛かった)

自分がラップを好きになった最初は小学校高学年でした。しかしずっとラップ一筋という生粋なラッパーなわけではありません。何故か同じ時期にはクラシックも好きでしたし、中学に入ってからはマイケル・ジャクソンもボンジョヴィもクイーンも好きでした。放送委員では昼の放送に必ずバッヘルベルを流しましたし。しかしどの曲のインパクトもラップに比べられるものではない。2年に1度くらいで真に心を打つラップと出会う。高校在学中はSOUL'd OUTとエミネムだった。ここでエミネムを知ったことで映画「8mile」を発見したんですね。ここが自分が黒人ヒップホップ文化に興味を持った切っ掛けだったと言える。しかし「8mile」、本当にイカす映画ですよね。デトロイトの市外局番313とか、シェルターと呼ばれる場所でのフリースタイルバトルとか、本当面白かった。是非見てみて下さい。自分が最も好きな映画1位を「モテキ」「ニューシネマパラダイス」と争っているものに「ブロンクス物語」というのがあります。ロバート・デ・ニーロの初監督作品だったかな、そんな感じのやつ。ニューヨークのブロンクス区というイタリア系マフィアが居る地区の話。これにも黒人との争い、人種の壁が一つの要素になっており、主人公のカロジェロは黒人の女の子と恋に落ちる。これにもドゥーワップという音楽を歌う黒人数人がしばしば登場する。そんな感じで、自分の記憶の中にはちょいちょいイカす黒人の姿がある。以上のことが自分を今回の本に惹きつけた主なものなのでしょう。

この本には読み手全員にあるだろう記憶の中に黒人文化のルーツを説明する箇所が幾つもある。マイケル・ジャクソンムーンウォークのルーツは鎖で足を繋がれた黒人奴隷の歩き方にあるとか、ビリージーンの歌詞は当時、黒人がよく強姦罪で濡れ衣を着せられて刑務所に送られたとか、こういうのを教養って言うのかな。教養であってほしい。早く次の本を読まなければならないので詳しいことはここで書くことができない。

本当に良い本だった。

#28 『やし酒のみ』感想

エイモス・チュツオーラ『やし酒のみ』 岩波文庫

今回は私が恋い焦がれて3世紀、念願のアフリカ幻想文学という超マイナー分野、エイモス・チュツオーラの作品、「やし酒飲み」です。一部の人からするとマイナーでもなんでもないのかも。しかし設定からもう好きなんですよ。やし酒大好きのアル中が、死んだやし酒作りの名人をあの世から取り返すためにあの世まで旅するというとてもユーモラスなもの。憎めませんよね。序盤から死神を捕まえたり結婚したり色々ありますけど、正直言って話の展開の仕方が一様になってしまっている気がする。西アフリカの呪文、呪術の呼び名で「ジュジュ(juju)」というのがあるんですが、この物語ではこのジュジュのせいでデウス・エクス・マキナになっている。自分はこの物語の情景を楽しんでいますが、正直何を楽しめばいいのかも分からない。しばしば出てくる奇妙な生き物に対して策を練るかジュジュを使うかして切り抜ける、これの繰り返しが多すぎる。日本語でたった200ページの本なのにもう読むのがつらくなってくる。元々日本語で書かれた文章ならば言い回しや言葉の持つ美しさなど楽しめる箇所は多くありますが、この作品は元々英語で書かれているらしいので英語で読むのが一番なんでしょうかね。ナイジェリア人作家が英語で書くという作業も一種のクレオール化でしょう。しかし詩人のディラン・トーマスはこの英語を「簡潔、凝縮、不気味かつ魅力的」と評しているらしいので捉え方は人それぞれですね。あとがきを読んだ感じチュツオーラは相当な苦学の人なんですね。学校に通いたくても主人に仕えなければならない、学費を出してくれていた唯一の人、父もすぐに亡くなってしまう。本当に聞いているだけで凄い。感想が尽きたので今回はこの辺でさようなら。