辣油の読書記録

現代を生きる若造の主に読書記録。その他の事も書くかもしれない。

#19 徒然草に見る有職故実及び文化の伝播について

1.はじめに
 本論文は1章で概要説明、2章で題名にもある徒然草に記述のある有職故実や大衆の文化についての考察、3章で総括としてのまとめを行っていく。
 有職故実とは平安期前後頃から起こった学問であり、朝廷における貴族、皇族がどのように振る舞い、どのような服装、調度品を以てして年中行事などに臨むべきかを研究するものである。一般的に有職の道では旧儀、先例を非常に重んじる傾向があるように私は感じる。これは昔の中国であっても、日本の古典、和歌の技法である本歌取りにもみられることであるから先例を重んじるというのは昔から東アジアに根付いていた文化なのだと思う。有職故実の及ぶ範囲は一見小さいように思われるかもしれないが、髪型から布の織り方まで非常に多岐に渡っている。
 徒然草の作者である吉田兼好の家柄は農民などといった庶民というよりかは、朝廷で過ごしている貴族寄りであるのでそういう世界の話が多いように感じるが実は読んでみると庶民の文化に関する記述も少なくない。有職のような貴族文化も、このような庶民文化も一言に「文化」と言えるが、本論文では区別して考えていくことにしたいので注意されたい。

2.徒然草に見られる文化についての記録
Ⅰ.大衆文化に関する記述について
 第34段に「甲香」という物が出てくる。当時の武蔵国金沢の人々はこれを「へなたり」と呼んでいたという記述がある。「甲香」とは、煉香(ねりこう)の調合に用いる香料のことで、長螺や赤螺などの巻貝の蓋を用いるので、「貝甲」と呼ばれ、「甲」は当て字とされている。また「こうこう」や「あきのふた」などと赤螺の古名から来た異称もある。これらが練香として都の貴族に届くまでに原材料の貝を酒に漬け、灰で煎じ、さらに複雑な過程を経て精製されるとも言われている。そしてこの精製された甲香は粉末状のもので、これを他の香料と調合する。またこの段ではこの原材料となる貝の形が説明されてもいる。「ほら貝」は、巻貝のうちでも最大のものであり、殻の長さは約40センチにもなる。赤螺や長螺の約15センチの大きさに比べると、倍以上の大きさだ。この殻は度々吹奏用に用いられており、形状も大きさも当時の人もよく知られていたために、これを引き合いに出して、甲香に用いる貝の説明をしたのだと思われる。「細長にして出でたる」というのは、細長くなっていて突き出ている、という意味であるが、長螺などの口が細長くなっていないようであるからどういうことなのか釈然としないとされている。
 武蔵国金沢は現在の神奈川県横浜市金沢区金沢のことであり、もともとの読みは「かねざわ」であったのが「かなざわ」になったと言われている。
 「へなたり」は京の都からすれば未開の地に等しい坂東などでは「た」の音が濁っていたため「へなだり」と呼ばれていた。この語源は定かではないが小松操氏によると当時の『秘語(卑語)』であるらしいという説と、稲田利徳氏の「粗末な罇(銚子)」とする説があるらしい。いずれにしても、あまり良い印象の語感ではないという風に感じる。
 坂東では「へなだり」などと品のない言葉で呼ばれているものが加工されて都に入った途端に貴族たちは「いとをかし」と言っていたのだろう。また兼好自身も第44段などで度々、香の空だきの匂いについて良いという風に言っているのだ。私はこの段の面白味はここにあると思う。
第96段には「みなもめ」と呼ばれる草に関する記述がある。「くちばみ」に噛まれた時にはこれを傷口に塗ると良いというのだ。
「みなもめ」というのは現在ヤブタバコという名前が付けられているキク科の越年草で、山野に自生し、夏から秋にかけて黄色い花を咲かせる。生薬名・漢名を天名精(てんめいせい)鶴虱(かくしつ)といい、果実を採集したものを鶴虱(かくしつ)、葉を採集し乾燥したものを天名精といったらしい。この鶴虱は條虫駆除に煎用するらしいのだが、徒然草にあるように「葉をもんで塗る」といった用法を見つけることが出来なかったのでいささか残念ではある。
 「くちばみ」はマムシのことであると考えられている。「口食み(くちはみ)」が語源であると私は思うのだが、「食み虫」の音が転じて「マムシ」になったという説があるので私の考えは正しいのかもしれない。また蛇は「くちなわ」とも呼ばれているがこれは「口が付いた縄」の意ではなく、「朽ちた縄」に似ているからだそうだ。
 当時、山里に草庵を構えて隠遁者として生活することはなにかと模範的である、こうあるべきだと言われることが多いが、そう簡単に言えるほど生ぬるい生活ではないと思う。この段にもあるように「くちばみ」や蜂などの害虫に刺されることも少なくなかったはずだ。ここで兼好がこのような実用的な記述をしているのは暗に隠遁生活、自然の厳しさを伝えようとしているのではないかと私には思われる。
 第119段で兼好は鰹に関する非常に興味深い話を書いている。徒然草が書かれた当時はもう鰹は朝廷にも上がるほどの馳走として扱われているが、一昔前では貴族の料理どころか賤しい身分の人々にすら食べられることは少なかった、というのだ。これは一体どういうことなのか。古くは大和朝廷が、鰹の干物など加工品の献納を課していたという記録があるらしい。「かつを」の語源は「堅魚」(かたうを)からきているようであり、その名にある通り鰹節にするのが一般的であったと考えられている。この段でいう「食べる」というのは生で食べることを指したのだろう。つまり、鰹は昔から朝廷への献上品として珍重され、地方の有力者でさえ口にすることができないということだ。しかし、兼好が生きた時代(鎌倉末期から南北朝)は、鎌倉の上流社会の人々も口にするようになっていたことをこの段では語られている。「頭は、下部も食はず」を、鎌倉の庶民でさえも忌避して捨てたとして、この魚(鰹)は余程嫌われていた、という解釈がなされる。しかし、兼好の論は、鰹は朝廷に献上する品である以上、切り取った頭といえども、庶民は口にすることができなかったことを物語っており、上に記したように、朝廷への献上品である故、「嫌われていた」はずはない。これは「身分」が原因であるという説がある。各々の身分にはわきまえるべき分別があり、その分別をわきまえないことはタブーとされていたのだと思う。当時の、現代のように身分に関して決して寛容でない社会の考えの一端を魚一匹から読み取ることができる非常に面白い一段であるように感じる。
Ⅱ.有職故実に関する記述について
 第48段は解釈の仕方が難しいため、いくつかの説がある。藤原光親卿が最勝講という行事の奉行を務めていた時、後鳥羽上皇から出された食膳を食べ終わった後に御簾の中へ入れ、片付けもせず帰った。これに対して院に仕える女房達は批判したが後鳥羽院は「有職のふるまひ、やんごとなき事なり」と言って繰り返し感心していたという話だ。
 光親卿は後鳥羽院から最勝講奉行を任じられており、また当時の後鳥羽院の寵臣である。寵臣ではあるものの御簾の中に片付けずに食膳を放置しておくことは無礼なように思われるが、これのどこが有職の道に適っているのだろうか。まず、この「御簾」がどこに掛かっている御簾であるのか。上皇の御簾というのはいくら有職故実といえども失礼に値するだろうということで疑わしいと考えられている。しかし上皇に「有り難く頂戴した」という旨のことを伝えるため敢えて上皇の御簾に入れたという解釈もある。そして光親卿はこの時最勝講奉行を務めていたために自ら御膳を奥に持っていって女房に渡すということはすべきではないので有職故実に適っているというのであろうか。
 他の解釈としても後鳥羽院が有職に通じていないため、など上皇側の失態とする解釈もあるようだが僅かではあるものの本を読む限り、私はそのようには感じない。この上皇は歴代の中でも特にその能力が多岐に渡って優れていたと思える節が多くあるからだ。
 第95段は徒然草の数多い記述の中でも自分にとって特に興味深いものだ。文箱とは書状、願文などを入れて持ち運ぶのに手持ちの利く細長い箱のことだ。「ふみばこ」「状箱」ともいい、和名類聚抄には「ふみはこ」といい、書物を入れて負い運ぶ箱のことを言っている。また源氏物語の若菜上に「沈のふばこ」とあり、香木づくりの高価な特色のある箱に願文を封じるとある。近世には手紙や短冊などを入れる様々な形のものができ、それが大名の嫁入り調度に加えられていた。
話を戻すと、箱に緒を付けるのだが、そのつける方向によって箱の役割が変わってくるという。これは有職故実の観点からどちらでも差支えはないものの、右に緒をつけると文箱、左側に緒をつけると手箱になるというのだ。「くりかた」は箱の身に付いている紐を通すための環で、もとは「刳り方」(「刳る」は「えぐる」)から来ており、刀の鞘などの場合などにもいう。私はこれに関して、左右とは箱の何を基準にして言っているのか、「結び」という観点から、後の室町時代に成立する「水引」などとの関連性はあるのか、など疑問に感じた。そこで歴史学者で文学博士の本郷和人教授と、工学博士で日本家具について造旨が深い小泉和子教授にお聞きしたが、過去の文献にもこのような稀な例は少ないらしく、解決することはできなかった。
Ⅲ.庶民から宮中へと移った文化の稀有な例
 当時の身分に対する意識は庶民であるにせよ貴族であるにせよ現代のそれとは比べ物にならないくらいに重いものだったと思う。故にこの二つの文化はある程度の接点はあったにせよ殆ど分けられて成熟していったはずだ。概して、宮中の文化が下層階級に移っていくものであるが、ここで挙げる例はその逆である。ここではこれらの文化の交流点ともいうべき事柄に関する記述について触れていく。
第61段に宮中での出産の際に行われるまじないについて書かれている。身分の高い人間が子を産む時に胞衣(腹中で胎児を包んでいる膜及び胎盤)が滞ることがあるらしい。そういった時に甑(米を蒸す器具)を屋根の上から落とすというのだ。
 分娩後に胞衣が体内から排出されることを「後産(あとざん)」という。その後産が速やかに行われない時のことを「とどこほる」といったのだ。第61段の記述を見る限りこの「甑落とし」は御産の際は毎回行われると考えられているようだが、胞衣が後に残っている時に行うまじないらしい。御産の時に甑を落とす習俗は、平安末期に始まったといわれている。『平家物語』によると、皇子が誕生すれば南へ、皇女が誕生すれば北へ落とす。これも「君子南面。」に由来しているのだろうか。このまじないに使われる甑は「大原の里」で作られたものを使うらしいが、これは京都左京区の大原が当てられることがあるが、京都右京区の大原野の方が正しいという。これは、「山槐記」に、「件の甑は、大原の社にある」という記述があるが、この「社」に該当しそうなものが大原には見当たらず、大原野神社と思われるからだと言われている。大原の甑が用いられたのは、その地名が「大腹」に通じるためとも伝えられており、また「甑」は「子敷き」や「腰気」に通じ、胞衣の機能と関連がありそうだとする説が有力である。

3.まとめ
 本論文で私は徒然草から鎌倉期前後の民衆、宮中の文化がどのようなものであったのかを読み取り、紹介してきた。昔であれば当たり前のことであるが、日本の全国民の識字率は現代と比べて驚くほど低い。そのため残っている文献といえば当時の上流階級が書いたもののみである。「賤し」が転じて「あやし」となってしまう程に貴族にとって下層階級の暮らしぶりは謎に包まれていたに違いない。よって、当時のそういった身分の暮らしを明らかにしていくことは非常に難しいことであるように思う。後世まで何か記録を残すためにはどうしても一定の教養が必要となってくる。しかし民衆に教養はなかった。身分ごとにほぼ完全に隔離された社会の中で、貴族並の教養を持ちながら平民の生活を営む「遁世者」の立場にいた吉田兼好に課せられた使命は非常に大きいように感じるのだ。
身分の高い人間のみの記録を残していく時代はもう古い。最近では一般市民の記録を残そうという運動があると聞いたことがある。これは識字率の高い現代社会であるからこそなせる業である。1000年前の民衆を今知ることはできないが、1000年後の民衆がその1000年前の我々を知ることができればいいと思う。

〈参考文献〉
徒然草全釈/松尾聡 著     清水書院
有職故実大辞典/鈴木敬三 著  吉川弘文館
有職故実図典/鈴木敬三 著   吉川弘文館

#18 『潮騒』感想

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三島由紀夫潮騒』 新潮文庫

本は今年一杯読まないつもりだったんですが昨日の「文字禍」といい欲望の制御が効かなくなってきました。参りました。

少し最近の話をします。私は最近澁澤龍彦という仏文学者の存在を知り、色々調べていました。これが調べていく内にトンでも無く面白い考えを持った人なのでは、と思うようになり、図書館などで著作を探しているんですが本当に見つからない。どういうことだ。しかも出版されたのが結構昔なので今も新品在庫があるか分からない。神保町は探したがどうしても探しきれないところがある。結局そういう訳で近くの本屋で在庫検索掛けて貰おうと思っているのですが題名が題名なだけになかなか店員に声をかける勇気が出ないのです。だって「エロティシズム」「エロス的人間」ですよ?こんなんどうすりゃええのや、と思ってたら仲の良い友人がバイトしているので彼に頼もうと思っています。彼が調べてくれることを願うばかりです。ていうか連絡さっき来てましたけど在庫無いらしいですね。笑う。ということで私は何回神保町に行けば欲しい本を買えるのか。もう一つ、澁澤龍彦に関して。自分は中学時代美術部に所属していたのですが、その時部室にあった画集をよく読んでいました。そこで自分がハマったのがシュールレアリスムでした。発端となった作品はルネ・マグリットの「ピレネーの城」。荒地に浮かんでいる大きな岩の上に城が建っているという作品。こんな世界があるのかと驚いてしまって10分くらい見入っていたんじゃないですかね。そのシュールレアリスムの繋がりでベルメールという人形作家の存在を知りました。私が画集で見たのは奇妙に生々しい人間の下半身同士が繋がっている作品。これです。

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初めて見た当時は凄く不安になりました。なるでしょ?俺はなった。そして今、澁澤龍彦について調べていく内に、どうやら彼の書斎にも置いてあったらしい写真を見つけました。ソースは何も無いので何の参考にもなりませんが。しかし私が中学一年の時に惹かれたものが時間を隔てて再び自分の前に現れてきたわけで、私はまた不安になりました。そもそも彼もサド研究の学者ですしシュールレアリスムを好むのも分かりますから結局同じような場所をウロウロしていたのは私の方だったというわけですかね。それにしても嫌なタイプの再会です。まあそろそろ本題。

この本は歌島という小さな島に暮らす若い青年新治と島一番の金持ちの娘、初江との恋愛が成就するまでの話を描いたものです。何というか、こんなこと滅多に無いんですが、一日で読み切ってしまいました。というか一日で読み切らないと居ても立っても居られなくなる。次の展開が気になって仕様がないんですね。二人の恋がまた安夫に邪魔されてしまうのでは、と心配になる。自分は三島由紀夫の作品が大好きなのですが、彼の別の作品には"張り詰めた美への執着"みたいなのがあって読んでいると少し疲れてくるんですね。「金閣寺」とか特にそうでした。研いだ後の刃物みたいな。でも「潮騒」は弛んだ毛糸みたいな感じですかね。飽くまで僕のイメージですしガンつけられても困るのでやめて下さい。しかしまあ無事に恋愛が成就して良かったというモンです。私にとっては無事ではないのですが。三島先生の狙い通りと言ってしまえばそうなのかもしれませんがその通りなのかもしれませんがそれが問題なのですよ。ずっと安心して二人の恋愛を眺めてきたのに最後の締めの部分が悩ましい。

少女の目には矜りがうかんだ。自分の写真が新治を守ったと考えたのである。しかしそのとき若者は眉を聳やかした。彼はあの冒険を切り抜けたのが自分の力であることを知っていた。

最後、二人の結婚が決まった後の話です。初江は船乗りである新治に写真をお守り代わりに渡していたのですが、この記述はどういうことなのか。流れで考えても二人の意見の不一致などを描くようには到底思えない。"あの冒険"というのは直前の、彼女の心情を表す文章から考えて、新治の船旅のことを指すのか。それとも初江と共に困難を乗り越えて成就した恋愛のことを指すのか。私は前者の"船旅"の方だと思っています。なんとなく。となるとこの時新治の、写真への感謝は薄いということに繋がるでしょう。それは初江の「私が新治を支えた」という意識と新治の「俺は自力で乗り切った」という意識とで食い違うことになります。恋人としての初江の矜りは分かる。大いに分かる。しかし新治は船旅の中で恋敵安夫に対する勝利を確信したことで得た行き過ぎた自信が彼にそうさせているのだろうか。物語序盤で我々に見せたような純真無垢な彼は、恋愛を取り巻いている困難を経て成長し、そうして付いた自信によってどう変化したのか、初江はその変化に気付いているのか、そもそも私の考えは全て外れており全く別のことが描写されているのか。三島由紀夫が何を書きたかったのかは分からないが、ともかく波風が立ちそうである。

文学は難しい。

#17 『文字禍』感想

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中島敦山月記・李陵』 岩波文庫

今回は中島敦の文字禍です。私がこの作品と初めて出会ったのは確か京都大学の過去問だったように思います。高校の時に授業で解かされたのですが、正直、文章と内容に呑まれてしまい問題どころではありませんでした。出会ってからずっと全編を読みたいと思っており、青空文庫で何回か読みもしましたが、今回もまた読んでしまった。

この作品は古代アッシリア王国が場面なのですが、その背景、人物名などあらゆるものの非日常に呑まれていました。現代の日本で普通の生活をしているとなかなか見ない名前ですからね。今も呑まれています。初めて読んだ時は何のことやらさっぱり、という感じだったのですが(過去問を解いているのにそんな状況ではマズいのだがここではあまり触れたくない)、読む度に色々なものが深まっていく気がするんです。アシュル・バニ・アパル王に命じられ、文字の精霊について研究する博学者ナブ・アヘ・エリバは研究していく中である"もの"とそれを指し示す"言葉"の関係に気づく。それは「言葉は物体の影のようなもの」というもの。これは飽くまで文学なので実際の世界の中で考えるのは少しおかしな話かもしれませんが本当によく分かる。文字は、それ自体が指し示す物体の本質を見失わせるということを猟師などの例えを使って言い表している。書物狂の博学な老人もあらゆる言葉を知っているがその実を知らない、このことも先に述べたものの一つであろう。私はまだまだ勉強不足なので中島敦のバックグラウンドについて何も知らないが、彼も文筆家である以上、アッシリア王国を生きるナブ・アヘ・エリバと何か似たような問題、疑問にぶつかったのではないかと思ってしまう。

#16 『ユタの歴史的研究』感想

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伊波普猷『ユタの歴史的研究』 青空文庫

これは伊波普猷という沖縄の民俗学者が書いた文章でして、作品というよりかは論文と言った方が相応しいと思います。ですから今回は感想というよりも、理解という面が強くなる。悪く言えば堅くなる。伊波普猷はその故郷への意識から、その姓である伊波を"IHA"ではなく"IFA"と発音されたく思っていたようです。それが現地での発音なのか。最近琉球史に少し興味がありまして、少し学んでいく内に琉球というのが歴史上どういう立場にあったのかというのが段々見えてきました。現代を生きる沖縄人(どう呼べば差し支え無いのか図りかねるので飽くまで敬意を孕ませてこう呼ばせて頂きたい。これには日本という国の支配を受けている状態の沖縄出身者が、古琉球へ抱いている帰属意識を尊重するという意図がある。)がどのように生き、どのような意識を持っているのかは私には全く分かりません。しかし私を含めた非沖縄出身者には沖縄、琉球の歴史を知る義務があるように思われる。何かのデモに参加するとか、そういう感情ではなく、今現在自国の一部となっており、且つ嘗ては別の国であった共同体、民族への意識は忘れてはならない。先日、私は沖縄、琉球の歴史が教科書から消えつつあるということを知った。これは非常によろしくない事態であり、現代の日本という国の成り立ちを正しく表記しないことになる。歴史そのものに取捨選択は無い(教科書に載せる内容の取捨選択は有るが)。ともかくも我々は知らねばなるまい。我々がここで学ばなければ琉球の過去は人々の意識に於いて、より細々としたものとなり、いずれは忘れ去られてしまう。それでは本題。

知っている人は多いと思いますが一応、ユタというのは沖縄にいる預言者、占い師的な立ち位置の人を指します。つまりこの文章では沖縄の占い師を、民俗学的にその成り立ちを紐解くという訳です。大体の流れは以下のようになっています。

  1. 琉球に於ける政教一致とユタの影響力
  2. 政教分離と近代化(為政者と神職との争い)
  3. 宗教の不必要性と将来への期待、結び

という感じですかね。雑に3つに分けましたが本気で頭使った訳でも何でもないので気にしないで下さい。あとこの3部構成を軸にこの後書いていく訳ではないので緩く頭に入れておく程度でいいと思います。気にしないでね。

まず冒頭段落、

ユタを中心として活動する沖縄の古い女は夫人問題で活動する新しい女より二千年も後れていると断言せざるを得ないのであります。

私は伊波氏が触りから沖縄に対して否定気味であるということに驚きと同時に好感を覚えました。この人は自分の属している共同体を他者よりも優れているとしていないのだ。しかしここまで言い切ってしまうのは痛快なところがある。良い。ここで大体の伊波氏の考えの方針が分かりましたね。中国の儒教に対する魯迅の態度と非常に似ています。

沖縄三山の区画形式は初代琉球尚巴志によって破壊されていたがその実質は三山の諸侯が首里に移された尚真の治世に行われたようです。しかしこの時点ではまだ宗教的、精神的には統一されていないんですね。宗教的な統一を見るのは諸侯と王家が血縁関係を結び、尚家の氏神であるところの聞得大君(キコエオオキミ)が崇拝対象の主流になってからであります。沖縄において政教一致は尚家が中央集権を進める際に用いた重要な道具であった訳です。この時同時に、男子は政治、女子は宗教に携わるという分業が生まれたのです。この分業が後の琉球に大きく関わってきます。しかし女子を宗教側に充てるというのは世界共通な様で、ローマ文化の及んでいない頃のゲルマン民族にも見られる傾向らしいです。これに関しては、自然などスケールの大きなものはしばしば人々に男らしさを感じさせるので、それに関わる職には女性を、ということになったのではないかと思います。これには何の根拠もありません。私の考えです。尚真の時代に行われた八重山征服事業には女性神職の力が大きく関わっていたと考えられていた様ですが、これに関しては古代ヨーロッパでも軍には常に自軍の安全と勝利を祈る女性が含まれていたということが分かっているのでここにも世界の共通性を見ることができる。琉球政教分離を妨げたものに、仏教の様に高僧や大学者がいなかった為に起こった民衆との近接化を挙げることができましょう。間を隔てるものが無いのです。これに続けて伊波氏はこう述べています。

沖縄の民俗的宗教は儒教仏教も知らなかったところの婦女子の手に委ねられたために、かえってその原型を保存するに都合が良かったのであります。

沖縄における女性が如何に近代化を遅らせたことか(歴史を否定するつもりはないので悪しからず)。しかもこの後にも氏は括弧付きで

沖縄の女子が古来学問をしなかったということは面白いところであります。

と記述している。自分の部屋で凄い笑いましたよこれ。

次に神職とユタについてです。神職というのは古くより神秘的能力を持っていると信じられていたのですが、時代が下ってくるとそうでない者も目立ってくる(遡った時代の信仰に言及はできないためこう言うしかない)。そういう名義ばかりの神職に代わって信託を宣伝する様になった連中がユタと呼ばれたのです。ここでおさらいします。古来からの神職の能力(?)衰退により能力(?)を持ったユタが台頭してきた、ということですね。騙されてはいけない。力があるユタが出てきたからメデタシではないのだ。この時点でも琉球王国の政治は超能力的な得体の知れないものに頼っている。政教分離が全く進んでいない。こんなんでは近代国家として成り立ちませんナ。この後は神職に代わってトキユタ(ユタと同義)が王朝に仕える時代になりますが、政教一致からは勿論抜け出せていない。

しかし沖縄の民俗的宗教を衰退させる出来事が2つ起こる。第一に島津氏の琉球入り、第二に国内に於ける儒教の隆盛です。先にも述べていますが、琉球において宗教とは全島統一に必要不可欠なものであったため、尚家が統一した後の必要性は自ずと薄れるということになります。しかも島津氏によって支配は受けたものの、尚家を介した支配であったため尚王家の地位はより確固たるものになったわけです。こうなってくると統一は既に為されている訳ですから更に宗教の必要性は薄れる。この宗教衰退ダブルパンチによって、ようやく琉球内にもお待ちかねの学問が来るんですが、ここでも学問を教えられたのは男子だけで、女子とは無関係でありました(伊波氏の発言が思い出されるな…)。よって女子には依然宗教的な空気が流れる。この中途半端なものが政教分離の記念すべき一歩目になります。その後、向象賢という敏腕政治家が現れ、政教分離に一層の力を注ぐが、宮中御夫人方の根強い信仰に頭を悩ませることになる。男子は祖先崇拝の宗教を記念祭的なものとすることができたが、女子は相変わらずこれを宗教的なものとして信じたために色々の迷信が生じて来て政治の妨害となった。

向象賢の敏腕をもってしても、この数百年の歴史ある迷信を打破することが出来なかったのであります。

と記述している。ユタは一時衰退を見せるも、半世紀後、再び息を吹き返す。向象賢以下の政治家達の敵は常にユタであったのだ。氏は、政教一致の行く末を「東汀随筆」の故事を用いて暗示している。

昔春秋の時※(埒のつくり+虎)国臣鬼神を崇信すること最も厚し、国家の政事決を鬼神にとらずと云ふことなし……※(埒のつくり+虎)国は君臣上下怠慢して専ら鬼神に任す…

こうは言っていても伊波氏は琉球から完全に宗教を取り上げるのではなく、宗教"思想"を吹き込むことで民衆を古い迷信から解放しようとしているのだ。この部分の伊波氏の考察には本当に感動しました。氏は、琉球における宗教の「存在の理由」を軽々しく見てはいけないことを知っている。唯物論者がその思考の過程で"認識"という段階を経て形而上学やがては唯心論にたどり着くことを知っている。その上で氏は新しい沖縄の門出を期待し、嘗て跋扈していた女性神職達の子孫である女子達が近代的な活動をするのを心待ちにしていたのだ。嘗て向象賢を始め様々な政治家を苦しめた沖縄の女性の強さを知っているからこそ、沖縄の女性教育が如何なる意義を持つかを知っているのだ。

最後に、私は沖縄出身ではないが、伊波普猷という1947年に亡くなった故人とその著作を通じて出会えたことへの2016年の感謝と敬意を以て、沖縄という土地の発展を密かに願い、私が心に留めておくことで少しでもその歴史を衰えさせまいと思う。

#15 『宇宙論入門』感想

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佐藤勝彦宇宙論入門』 岩波新書

自分は文系ですし余り理系分野に興味はないのですが今回は理系っぽい本を読みました。宇宙のことってブッ飛び過ぎてて寧ろ文系にも親しみやすいといった印象を受けてるのは僕だけにしても勘違いもいい所ですね。申し訳ございません。本当に天文学やってる人に失礼なので理解したとかは一切言うつもり無いですよ僕。そんなに自惚れてもいませんし実際何も理解してないですし。アインシュタイン方程式が何なのか、CP対称性の破れが何なのか、インフレーション宇宙内のゆらぎを均一にしているものが何なのか、名前だけ覚えて賢そうですけどさっぱり分かりませんでした。本当になんなんだ。電車の中で読んでたんですけど何というか、仮想粒子対とか言われても粒が2つ1組でクルクル回ってるのを想像することしかできない。全部そうでした。日本語読んでるはずなのに全く手が届かないのも悔しいものです。痛い話ですが自分は中学の時ブラックホールにハマっていたので少しだけ知識は持ってるんですよ。超新星爆発が起きる時にホーキング輻射が起きるんだけども、その発してる筈の中央部にのみx線が観測されない場合はブラックホールが形成されたと見て良い、みたいな。あと赤方偏移とか。

宇宙論の一つのテーマとして暗黒物質の解明があると思います。地球環境での物理法則が効かない環境っていうのも凄いと思いますけど。暗黒物質は多分、密度やゆらぎは持っているがどこまで膨らましても内部の密度は一定に保たれる物質なんですね。

自分は去年友人と東大の駒場祭に行ったんですが、梶田教授がノーベル物理学賞を受賞したタイミングで宇宙論に関する講演をやっていたので聞いたんです。本当に面白かったです。KAGAYAさんという天文関係を主としている(?)アニメーターが作った映像を見たんですが、本当に分かりやすかった。この時の話の中でKAGRAという天体観測機器が出てきたんですが、途中からKAGAYAなのかKAGRAなのかよく分からなくなったのを覚えています。アニメの中では座標平面みたいなもので重力波を表現していたんですが、本当に良かった。連星パルサーを観測する際の放射線灯台の光のような物になっているというのも見て感動した。宇宙について知りたいから物理やりたいと思ったんですが、周りの理系を見てるとそんな甘いものではなさそうなので辞めます。

まあ今回は感想とか特にあるような本ではないのでこの辺で。

#14 『美味礼賛』感想

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ブリア・サヴァラン『美味礼賛』 岩波文庫

どうも、メモの読みたい本を数えたら100冊になっていた辣油です。先日何か本を読もうと思って本棚を何となく見ていたんですね。したら自分でも忘れていたんですがどうやら神保町で結構本を買い込んでいたらしいんです。自分でもそんなに覚えてないような本が5冊ほど見つかったので得をした気分でした。その中の1冊が「美味礼賛」だったんですね。この「美味礼賛」という本、今まで読んできた本の中でもトップクラスの面白さを持っているという、それでいて学術書に部類されるだろうというのが凄いところです。学術書に近いような新書は何冊か読みましたが本当にどれも退屈なもんです。好奇心にワクワクしてられるのも最初の30ページだけですよ本当に。あとは惰性で読み進める他ない。そろそろ本題へ。

この本はフランス社交界及びそれに伴う美食文化が栄えていた18〜19世紀の法律家ブリア=サヴァランによるもので、この作者は当時(恐らくルネサンス期の影響)しばしば見られる所謂"万能人"の類の人でした。法律だけでなく化学や文学にも精通している彼が「学殖蘊蓄を傾けて」(岩波書店原文ママ)美食学というものを確立せんとして書いたのがこの本なのでしょう。もう確立しつつあったのかも知れないですけどね。自分は本を読むことにあまり意味を持たせたくない人なんですが、この本は読んでいて本当に意味があるとつくづく思わされました。普段自分達に身近な食材からこの当時の貴族層ならではの食材まであらゆる記述が見られます。読んでいく中で分かったんですけど、この時期の人達って本当によく食べるんですね。コース料理だから何皿も、酒も違うのを何杯も。酒は弱いものから強いものへ、というのは覚えたので近々試してみようと思います。この本全体として中々好感が持てたのは、美食の幅を身分というものに余り制限させていない点です。所々限りはしていますがそれは食べるものが違う為仕方ないことです。自分は「文化」という観点から徒然草が好きなのですが、アレとは大違いですよ。成立年代も500年ほど離れていますし身分の上下によるお互いの認識も違うのは分かりますが、にしても徒然草は中々嫌味なことを言いますからね。

話を戻します。この「美味礼賛」の中で著者のブリア=サヴァランがチーズフォンデュを振る舞うというのがあるんですが、現代にこの著者の名を持ったチーズがあるんですね。

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この写真のものらしいんですが、ただ名前が付けられているだけなのか、実際に作成に加わったのかは知りません。作成に加わっていたのなら是非食べてみたい。

話を変えます。自分は夜寝落ちしてしまうことが多いんですね。実際悩んでいたんですが、そういう時にこの本を読んだらコーヒーに関しても中々書かれているんで為になりました。ただ一杯で30時間起きっぱなしだったとか大分盛られているものですけども。その毒性についても結構口うるさく書かれているので心配にはなったんですが最近ブラックを1日に2杯飲みだしたんですよ。本当にコーヒー凄いですね。毎日睡眠時間3時間位で回るんですよ(確実に何処かでガタが来る)。本当に。作業もある程度捗りますし感謝ですねえ。読書に意味を持たせたくないですが、読んで意味があった。またこういう本を読みたい。最近はメディア論というのを知ったので関連の本を読んでみたいと思います。それでは。

#13 『仮面の告白』感想

f:id:sykykhgou:20160416163938j:image三島由紀夫仮面の告白』 新潮文庫

三月末から読んでいた本をやっと読み終えました。私にとっての三島由紀夫先生の2作目、先生にとってはデビュー作とも言える「仮面の告白」です。この作品はほぼ自叙伝ともいえるものですが、幼少時に従姉妹が主人公のことを「公ちゃん」と呼んでいるので分かりました。遅いですね。本名は平岡公威ですから。この作品は私が嘗て通っていた学校の先生に冗談交じりに薦められたものなのですが読んで正解だったと読み終えても思いますね。先生だけでなく読書好きの友人にも特に薦められましたし、これは読まないわけにはいかない。

幸いにも私には男色の気は全く無いので三島の嗜好を深く理解することはできなかった。しかしこの不理解こそ三島の苦悩をより鮮明に私に感じさせたのは確かなように思います。聖セバスチャンの殉教から完全にその趣味の自覚が始まったというのも(そういう方には全く失礼な話ですが)私には面白いものでした。因みに「聖セバスチャンの殉教」はこれ、二枚目は三島の趣味で撮った写真でしょう。f:id:sykykhgou:20160416165111j:imagef:id:sykykhgou:20160416165121j:image
三島はボディビルをやっていたという話をどこかで読んだ気がするのですが全て幼少期から始まる、貧弱な自分の容姿への嫌悪、逞しい青年への性的な憧れ、憧れから似たいと思う心から来ているというのもあるでしょうね。
そして随所随所に見られる化学方面での例え、文学の中にその様なものを用いる作家は中々いないのではないでしょうか。そういうところに真に東京大学法学部の教養といったようなのを感じる。僕の考え過ぎですね。
ここに来て気付きましたけどこの作品、感想を書くにはあまり向いていないように感じますね。感想も何も「さぞ辛かったんだろうなあ」くらいのもんです。流石にそんな事もありませんが。
私は学生の時、自分は本当にその気が無いのか、ふとすればそっちの世界に踏み込んでしまうのではないかと恐れていた時期がありました。その時にそういう趣味のある動画を見たのですがそっちの方向に"不能"だったので心から安心したのを覚えています。大多数の人間はこうあるのでしょうが三島には自刃で終えた短い生涯の中にもそういった安堵、自分は多数派なのだという自信はなかったのでしょう。しかもそういった瞬間だけでなく普段より女性に興味が無いというのは長時間、間髪も入れずに責め立てられているのと変わらないのではないか。そう考えるとその我々には決して解することのできない葛藤の辛さがより伝わってくるようだ。
毎度陳腐な締め方をしてしまうが、また一つ、この本を読み終えたことで自分の中の何かが涵養されたことを嬉しく思う。教養、懐の深さを得たい。